レストラン訪問記:祇園「祇をん かじ正」(★)
花に誘われて京都、奈良に伺っていました。お花見といっても桜のある場所を、束の間花を愛でながら通り過ぎるだけです。それでも季節が良く、河原沿いで、車窓から、寺社仏閣の境内でと、様々な桜の花を楽しむことができました。
各所でお昼ご飯を頂いてきましたが、いずれも和食でした。個人的に評価の低いお店から、読者様の寄稿記事を挟みつつ、三店続けて紹介いたします。
こちらは祇園の中という風情ある最高の立地で、店内はやや狭いものの奥が深くまであり、それなりに落ち着ける空間でした。
しかしながら残念な出来事が立て続いたため、お店としては全く評価ができませんでした。
まず、入店時のことですが、カウンターに着席する際にカウンター内に3人も料理人がいて特に何の作業をしているわけでもないに、そのうちの誰からも挨拶を頂けませんでした。普通人と人が近づいて、お互いに認識をしたら自然と挨拶の言葉が出るものではないでしょうか。お客商売をしているならなおさらです。あれだけ近い距離で接近しているのにあまりに不自然で、驚きました。お客以前に、人間として無視されたように感じてしまいました。とても残念でした。
次に、着席後の注文の際、こちらがお茶と言って、明らかに食中の番茶を所望しているのに、女将は何度も烏龍茶?烏龍茶?と聞いてきます。和食の食事中に所望する「お茶」といえば普通にノーチャージの番茶でしょう。それくらい知っています。
女将の、できるだけ有料の注文へ誘導しようという下品な根性が丸見えで正直うんざりしました。こちらの無知(と先方が思っているだけですが)につけ込んで、できるだけお金を稼ごうという根性は、それを客に気取られた時点で客は興醒めして二度と来ないことが分からないのでしょうか。
この女将は、冷たいお茶なら烏龍茶といって有料に誘導しようとしていましたが、後日記事を書く「京料理 藤本」では、ノーチャージの番茶についてもお客さんのために冷えたものを用意されていました。それこそもてなしの心というものでしょう。本当はそこまでする必要はないかもしれませんが、やっているお店に会うと、やはり評価がぐっと上がります。客をもてなす心が伝わるからです。
そうして出てきたこちらの熱いお茶は、スモーキーすぎて正直食事を邪魔する印象を持ちました。
その後食事が進む中で、また嫌なことがありました。主人はまだしも女将には品格が感じられず、そんな女将に引き寄せられたような常連さんが我が物顔でカウンターを占拠していて、例のごとくノーマスクの飛沫拡散大会となっていました。
連れもいることですし、多少のおしゃべりは仕方ないと思うのですが、女将が話しかけて煽るので、この老女は調子に乗ってどんどんしゃべるのです。このような時期、店の側がコロナ感染拡大に協力してはいけないでしょう。
わが子(娘?)の就活自慢で、東大病院と偉そうに語っていましたが、受験するなら誰でもできるでしょう。母校を拝め奉られて悪い気はしませんでしたが、周りを圧倒する意図だとしたら論外です。東大の権威はあなたに何の関係もないでしょう。しかも食事も完全に終わっているのにノーマスクで、その話さっきも聞いたよというその話を何度も何度も繰り返す。勘弁して欲しかったです。
さらに言えば、その老女は私が丁度食べる時に、意味もなくカウンターを両手で叩いて振動を生じさせていました。自分がここの主だというアピールと理解しました。マントヒヒの要領です。自分が世界の中心にいて周りが何も見えていないのでしょうか。
お店の人が何かした訳でもないですが、これでお店の評価が良くなるわけがありません。
また、若いサービスの女性が、食事の真っ最中でこちらが丁度ものを口に入れたタイミングで何かを問うてきたこともありました。未熟ゆえ致し方ない面もあるかもしれないですが、センスの問題でもあり、また教育の問題でもあるでしょう。
色々とちぐはぐで、祇園で和食というワードから想像される、落ち着いた、美味しく楽しい食の体験からはほど遠い世界に連れて行かれてしまっていました。
さらに、食後のことですが、お食事が終わって間があるなあと思っていましたが、お食事を頂いた後に、以上で終わりと店の人が言わないので、デザートが出ると思って待っていました。しかしあまりに時間が流れるので店主に聞くと、もう終わりとのことでした。それなら食事を下げるタイミングでちゃんと終わったことを告げるべきでしょう。
デザートを五品も出す「京料理 藤本」のパフォーマンスが良すぎる面もあるかと思いますが、ちょっとしたものが出ることを期待してもおかしくない値付けをしているのです。これじゃあまともなお客さんは寄らないよと思います。
お料理自体はさほど悪いとは思いませんでしたし、店主自体は人が良さそうな方でしたが、女将が全てを仕切ってしまっているのでしょう。先述のような客を常連にしてしまったり、店員の教育ができていなかったりする、その徳のなさから、二度と寄りつこうと思えませんでした。
こんな店を一つ星として掲載するミシュランは罪深いとまで思ってしまいました。抜けた調査員が複数いて、こぼれ落ちて間違って掲載されてしまったのでしょうか。
お値段については先ほど触れましたが、今回訪ねた中で最も高かったですが、お椀もデザートもなく、内容的に一番貧相でした。また、カウンターとはいえ、客がいる時に、客の目の前で皿洗いをするのはどうなのでしょう。目に見えていなくても、恐らく洗っている水、下手したら洗剤が飛んできていますよね。そう想像させる時点でアウトだと気付いて欲しいです。
ただ、残念な体験があってこそ珠玉の体験が輝くともいえるので、まあ色々と勉強になったと自分に言い聞かせて帰路に就きました。
(いただいたもの)
ランチコース

先付け:
ホタルイカ 赤貝のぬた
うるい ネギ
お酢
(→水分気になると思ったら出汁入りのお酢でした。ホタルイカも赤貝も質は良いですが、産地も教えてほしかった。味噌は少し辛味を感じる比較的粘りの少ないサラッとしたもの。)

お造り:
本鮪 シマアジ
(→刺身の質は良いです。本鮪は中トロでしょう。しかし二種は少しさみしかったです。)

鱒の利休餡がけ
(→皮がついていて食べにくいのが残念でしたが、脂がありこの点だけは「京料理 藤本」より上でした。)

桜蒸し 鯛
(→餡のため熱々ですが、梅干しがついてくるこの料理の良さが分かりません。蕪蒸しなら分かるのですが。鯛は産地も分かりませんし、火が入りすぎてあまり美味しくなかった。)

お食事:
ご飯 香の物 だし巻き玉子
(→至って普通ですが、ちゃんと作っているのでどれも美味しいです。出汁巻き玉子がこちらの名物のようでした。)
各所でお昼ご飯を頂いてきましたが、いずれも和食でした。個人的に評価の低いお店から、読者様の寄稿記事を挟みつつ、三店続けて紹介いたします。
こちらは祇園の中という風情ある最高の立地で、店内はやや狭いものの奥が深くまであり、それなりに落ち着ける空間でした。
しかしながら残念な出来事が立て続いたため、お店としては全く評価ができませんでした。
まず、入店時のことですが、カウンターに着席する際にカウンター内に3人も料理人がいて特に何の作業をしているわけでもないに、そのうちの誰からも挨拶を頂けませんでした。普通人と人が近づいて、お互いに認識をしたら自然と挨拶の言葉が出るものではないでしょうか。お客商売をしているならなおさらです。あれだけ近い距離で接近しているのにあまりに不自然で、驚きました。お客以前に、人間として無視されたように感じてしまいました。とても残念でした。
次に、着席後の注文の際、こちらがお茶と言って、明らかに食中の番茶を所望しているのに、女将は何度も烏龍茶?烏龍茶?と聞いてきます。和食の食事中に所望する「お茶」といえば普通にノーチャージの番茶でしょう。それくらい知っています。
女将の、できるだけ有料の注文へ誘導しようという下品な根性が丸見えで正直うんざりしました。こちらの無知(と先方が思っているだけですが)につけ込んで、できるだけお金を稼ごうという根性は、それを客に気取られた時点で客は興醒めして二度と来ないことが分からないのでしょうか。
この女将は、冷たいお茶なら烏龍茶といって有料に誘導しようとしていましたが、後日記事を書く「京料理 藤本」では、ノーチャージの番茶についてもお客さんのために冷えたものを用意されていました。それこそもてなしの心というものでしょう。本当はそこまでする必要はないかもしれませんが、やっているお店に会うと、やはり評価がぐっと上がります。客をもてなす心が伝わるからです。
そうして出てきたこちらの熱いお茶は、スモーキーすぎて正直食事を邪魔する印象を持ちました。
その後食事が進む中で、また嫌なことがありました。主人はまだしも女将には品格が感じられず、そんな女将に引き寄せられたような常連さんが我が物顔でカウンターを占拠していて、例のごとくノーマスクの飛沫拡散大会となっていました。
連れもいることですし、多少のおしゃべりは仕方ないと思うのですが、女将が話しかけて煽るので、この老女は調子に乗ってどんどんしゃべるのです。このような時期、店の側がコロナ感染拡大に協力してはいけないでしょう。
わが子(娘?)の就活自慢で、東大病院と偉そうに語っていましたが、受験するなら誰でもできるでしょう。母校を拝め奉られて悪い気はしませんでしたが、周りを圧倒する意図だとしたら論外です。東大の権威はあなたに何の関係もないでしょう。しかも食事も完全に終わっているのにノーマスクで、その話さっきも聞いたよというその話を何度も何度も繰り返す。勘弁して欲しかったです。
さらに言えば、その老女は私が丁度食べる時に、意味もなくカウンターを両手で叩いて振動を生じさせていました。自分がここの主だというアピールと理解しました。マントヒヒの要領です。自分が世界の中心にいて周りが何も見えていないのでしょうか。
お店の人が何かした訳でもないですが、これでお店の評価が良くなるわけがありません。
また、若いサービスの女性が、食事の真っ最中でこちらが丁度ものを口に入れたタイミングで何かを問うてきたこともありました。未熟ゆえ致し方ない面もあるかもしれないですが、センスの問題でもあり、また教育の問題でもあるでしょう。
色々とちぐはぐで、祇園で和食というワードから想像される、落ち着いた、美味しく楽しい食の体験からはほど遠い世界に連れて行かれてしまっていました。
さらに、食後のことですが、お食事が終わって間があるなあと思っていましたが、お食事を頂いた後に、以上で終わりと店の人が言わないので、デザートが出ると思って待っていました。しかしあまりに時間が流れるので店主に聞くと、もう終わりとのことでした。それなら食事を下げるタイミングでちゃんと終わったことを告げるべきでしょう。
デザートを五品も出す「京料理 藤本」のパフォーマンスが良すぎる面もあるかと思いますが、ちょっとしたものが出ることを期待してもおかしくない値付けをしているのです。これじゃあまともなお客さんは寄らないよと思います。
お料理自体はさほど悪いとは思いませんでしたし、店主自体は人が良さそうな方でしたが、女将が全てを仕切ってしまっているのでしょう。先述のような客を常連にしてしまったり、店員の教育ができていなかったりする、その徳のなさから、二度と寄りつこうと思えませんでした。
こんな店を一つ星として掲載するミシュランは罪深いとまで思ってしまいました。抜けた調査員が複数いて、こぼれ落ちて間違って掲載されてしまったのでしょうか。
お値段については先ほど触れましたが、今回訪ねた中で最も高かったですが、お椀もデザートもなく、内容的に一番貧相でした。また、カウンターとはいえ、客がいる時に、客の目の前で皿洗いをするのはどうなのでしょう。目に見えていなくても、恐らく洗っている水、下手したら洗剤が飛んできていますよね。そう想像させる時点でアウトだと気付いて欲しいです。
ただ、残念な体験があってこそ珠玉の体験が輝くともいえるので、まあ色々と勉強になったと自分に言い聞かせて帰路に就きました。
(いただいたもの)
ランチコース

先付け:
ホタルイカ 赤貝のぬた
うるい ネギ
お酢
(→水分気になると思ったら出汁入りのお酢でした。ホタルイカも赤貝も質は良いですが、産地も教えてほしかった。味噌は少し辛味を感じる比較的粘りの少ないサラッとしたもの。)

お造り:
本鮪 シマアジ
(→刺身の質は良いです。本鮪は中トロでしょう。しかし二種は少しさみしかったです。)

鱒の利休餡がけ
(→皮がついていて食べにくいのが残念でしたが、脂がありこの点だけは「京料理 藤本」より上でした。)

桜蒸し 鯛
(→餡のため熱々ですが、梅干しがついてくるこの料理の良さが分かりません。蕪蒸しなら分かるのですが。鯛は産地も分かりませんし、火が入りすぎてあまり美味しくなかった。)

お食事:
ご飯 香の物 だし巻き玉子
(→至って普通ですが、ちゃんと作っているのでどれも美味しいです。出汁巻き玉子がこちらの名物のようでした。)
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